カーウァイとタランティーノが惚れた男 /「たそがれ清兵衛」

…と書いてみると凄くカッコイイなぁ、サナー。こと真田広之

上映中の『サンシャイン2057』では宇宙船の船長役だが、あれは『たそがれ清兵衛』を見たウォン・カーウァイダニー・ボイル監督に推薦したらしい。さすが見ている人は見ている。そうか、真田広之は日本のトニー・レオンか。(かな?)

タランティーノは昔からソニー千葉とサナーを崇拝しまくってるし。

そういえばカンナヴァーロ(ワールドカップ・イタリア代表のあのパーフェクトなキャプテン)も真田ファンで、『ラスト・サムライ』での役「氏尾」の鎧姿のタトゥーをドドンと入れている。通だ。意外なようだけど何となく納得。将は将を知る、ということかしら。


たそがれ清兵衛』はそんな真田広之の魅力を堪能するための映画だ。


山田洋次というのは映画監督なのに映像の力を信用していないのか鈍感なのか過剰に“説明してしまう”人で、この映画でもナレーターが語る語る。しかもそれがバタ臭くて舌足らずなマダム岸恵子だからどうにも違和感が。
しかしそうした映画としての欠点を補って余りあるのが大黒柱・真田広之だ(役者陣は皆いい感じなのだ)。品性、含羞、武士の矜持、貧しい生活者の逞しさと寄る辺無さ。そうしたものが「演じられる」というより、彼の体から静かに立ち昇ってくる。殺陣と体技の見事さ、所作の美しさも彼ならではだろう。


眉目秀麗であることやアクションスター(だった)という枕詞は、役者が年齢を重ねるにつれて枷となることの方が多いように思うのだが、彼はそうした枷に足を取られて自滅しなかったレアケースなんではないだろうか。


“国際俳優”というと今や渡辺謙みたいなことになっているが、それはつまり彼が、アメリカ人にもわかりやすい(さりげなく差別発言)「演じてる!」感が満載の大ぶりな舞台演技の人だからであって、『ラスト・サムライ』も『明日の記憶』も『硫黄島からの手紙』も見ていてどうにも気恥ずかしくなってしまうのよ私は。 世界よ、もっとナベケンよりサナーを知ろうよ。


七人の侍』をリメイクなんてことがあれば、宮口精二の演じた静かなる剣客・久蔵は是非サナーでお願いしたい。サントリー伊右衛門CMもモッくんでなく彼で見たかったなー。

たそがれ清兵衛 [DVD]

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