メガネ男子VSメガネをとったら王子様 /「怪盗ルビイ」

最近の小泉今日子を見るたびに「昔のキョンキョンは革命児的アイドルでキラキラしてたのになー。もにょもにょ。」とか思っていたのだが、『ルビイ』を久々に見直してみたら、あら、こんなもんだっけキョンキョン!?

ヴィヴィアン・ウェストウッドビバユーに身を包んだ小生意気でキュートなスタイリストの卵の女の子…なんていうのは80年代末という時代の空気の中でのみ有効な記号だったんだろうか。今となってはあまり可愛く見えないのだ(売れっ子だったからお肌は荒れてるし)。 彼女もまた山口百恵同様「時代と寝た女」だった訳だが、サバイバルした代わりに“不滅”にはなりそこねてしまったしね。


いかにも和田誠らしい、映画愛に充ちた愛らしく楽しい小品ではある。 
が、“洒落た”“小粋な”と形容されるような作り込まれた映画は老化が早いのかもしれない。

敢えて古典的な映画文法とその「映画的記憶」=台詞やシーンの繰り返しが生むリズムとそれが次第に微変化していくおかしさ、ミュージカルシーンの挿入、ヒッチコックの『裏窓』『ロープ』的なカメラワークや『汚名』の360度キスシーンetc.をなぞってみせた“ウェルメイドな”ロマンティックコメディなのだが、しかしその「敢えて」をあまりにもきっちり丁寧にやってしまった結果、皮肉にも「敢えて、ではない古臭さ」が漂ってしまっている。 (さすがに三谷幸喜の『THE有頂天ホテル』のような痛々しさまでは感じさせないが)


好ましい古めかしさも描かれている。 「メガネ男子」以前の、「メガネをはずしたら王子様だった!」の時代。メガネっ子が実は美人/ハンサムという(はずさなくても既に明らかに美人/ハンサムなのだがそれがお約束の)懐かしの少女漫画ルール。いいなぁ。男の子のメガネをはずしてみたいものだわ、私も。


「だめだよ、僕そんなことできないよ」と気弱に繰り返しながら、次のシーンでは必ずルビイ=キョンキョンの言いなりになってしまっている20代半ばの細い真田広之はとてもチャーミングだし、この御伽噺的ワールドにふさわしい、実に絶妙な塩梅の(見ていて気恥ずかしくならない)デフォルメ演技を展開している。若い時から一貫していい役者であり続けている稀少な人。


名古屋章天本英世などなど故人となった名優たちが贅沢にゲスト出演している。
普通のお母さん役なのにあでやかで綺麗な水野久美キョンキョンより魅力的かも。


※メイキングでは真田広之の軽やかな“アクション”がちらりと見られます。メガネもいいけどやっぱり運動神経もキラーコンテンツね。

快盗ルビイ [DVD]

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